ミトコンドリアDNAのハプログループでたどる
日本人のルーツ
公開日:2016年03月23日
DeNAライフサイエンス社のマイコードやジェネシスヘルスケア社のジーンライフなどから、自分の祖先を調べることをうたった遺伝子検査キットが販売されています。これらのキットでは、細胞の核内のDNAではなく、ミトコンドリアの中にあるミトコンドリアDNAを調べています。このページでは、なぜ、ミトコンドリアDNAから自分のルーツをたどることができるのかを説明し、人類がアフリカを旅立ち、日本に到着するまでの道のりを、ミトコンドリアDNAを使って追いかけていきたいと思います。
ミトコンドリアDNAについて
ミトコンドリアとは
ミトコンドリアは、私たちの細胞の中にある小さな器官の一つで、細胞内でエネルギーを生み出す仕事をしています。実はこのミトコンドリア、細胞の核の中にあるDNAとは別に、ミトコンドリア独自ミトコンドリアDNAを持っています。これは、ミトコンドリアがかつて独立した別の生物だった名残りだと考えられています。
では、なぜこのミトコンドリアDNAが、祖先解析に利用されるのでしょうか。それは、以下のような解析に有利な点があるためです。
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サイズが小さい
ミトコンドリアDNAは、核のDNAと比べて構成する塩基の数が少ないという特徴があります。核のDNAが約30億塩基対であるのに対し、ミトコンドリアDNAは、わずか約1万6500塩基対で、約20万分の1です。塩基の数が少ないということは、それだけ解析が楽だということです。ちなみに、核のDNAが直線状につながったものであるのに対して、ミトコンドリアのDNAは、下図のように環状になっています。
ミトコンドリアDNAに記述されているのは、13種類のたんぱく質、2種類のリボソームRNA、22種類のトランスファーRNAのみです。
「DNA解析が解明する現生人類の起源と拡散」(Journal of Geography 118(2)311-319 2009)より -
母親からしか受け継がれない
ミトコンドリアDNAは、母親からしか受け継がれません。父親のミトコンドリアDNAは、受精後に消失してしまうからです。そのため、ミトコンドリアDNAは、常に母親由来のものとなり、母系の祖先は、皆同じミトコンドリアDNAの型になります。この同じ型のミトコンドリアをたどれば、母系ルートでの自分のルーツにたどり着くというわけです。
ちなみに、この母系ルートを辿って行くと、最後には10万〜20万年前のアフリカの一人の女性に行き着きます。この女性のことを「ミトコンドリア・イブ」と呼んでいます。
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変異が起きやすい
ミトコンドリアDNAは、核のDNAと比べて、5〜10倍程度、変異が起きやすいことが知られています。これは、核のDNAには損傷があった時などにそれを修復するための機能が備わっているのに対して、ミトコンドリアDNAではそれがほとんど働かないためだといわれています。ただ変異の大部分は、生命の維持にほとんど影響しません。そのため、過去に起こったDNAの変異はどんどん次の世代に蓄積されていきます。この蓄積された変異を紐解いていけば、異なるミトコンドリアDNAの型が、いつどこで分かれたのか、さらに地理的条件を組み合わせれば、どういうルートで人類がアフリカで誕生から世界各地に拡がっていったのかが分かります。
ミトコンドリアDNAからみる人類の系統樹
2000年にミトコンドリアの全塩基配列(D-ループを除く)を用いた、人類の系統図※が発表されました。
※ 系統樹
生物の進化やその分かれた道筋を枝分かれした図として示したもの。枝分かれは系統の分岐を示し、枝の長さは進化の程度や時間経過を表す。
この図の分岐の時期からは、人類は大きく4つの集団に分かれることになります。うち3つはアフリカ人、残り1つがアフリカ人とその他の人種となっています。これは人類が初めて誕生したのがアフリカであること、世界のその他の地域の人は、アフリカから移住した以降のDNA変異しかもっていないためと考えられます。
Genome Res. 2003 Jul;13(7):1600-6.
Mitochondrial genome variation and evolutionary history of Australian and New Guinean aborigines.
ミトコンドリアDNAのハプログループとは
これまでミトコンドリアDNAの型の違いの話をしてきましたが、この型はハプログループ※と呼ばれていて、現在ヒトは、数十のハプログループに分類されています。
ちなみに、ミトコンドリアDNAには、遺伝子を含む部分と遺伝子を含まないD-ループと呼ばれる部分があります。D-ループはミトコンドリアDNAの中でも変化のスピードが速すぎるため、関係ないグループ間でも偶然同じものになってしまうことがあります。そのため、ハプログループのグループ分けでは、D-ループ部分の配列は利用されていません。
※ ハプロとは 「単一の」 という意味で、両親のどちらか一方から受け取るDNA(ミトコンドリアDNAやY染色体)について用いられる学術用語。
ミトコンドリアDNA分析の限界
「自分のルーツを探ろう」という触れ込みで祖先解析がなされることが多いですが、ミトコンドリアDNAでたどることができるのは、母親系列のミトコンドリアのルーツのみです。
分かりやすく、3世代前までの家系図を作ってみてみましょう。仮にあなたがハプログループDのミトコンドリアを持っていたとします。そうすると、あなたの母、祖母、曾祖母も同じハプログループDのミトコンドリアDNAを持っていたことになりますが、ハプログループを調べて結婚するという人はいないと思いますので、父系も含めれば、祖先にはいろんなハプログループの人がいるはずです。「あなたの祖先のルーツが分かります」という触れ込みで、ミトコンドリアDNAを使って祖先を調べる遺伝子検査がありますが、そこで分かることはあくまでルーツの1つに過ぎないということです。
3世代前までの家計図
図中のアルファベット、数字はミトコンドリアDNAのハプログループ
ミトコンドリアDNAから探る、人類のアフリカから東アジア、日本までの旅
では、これまで説明してきたミトコンドリアDNAのハプログループをもとに、人類がアフリカを出発してから日本にたどり着くまでの道のりをみてみましょう。
新人のアフリカ起源説
まずは、新人※の「アフリカ単一起源説」について、軽く説明しておきたいと思います。
※ 人類の進化:猿人→原人→旧人→新人
現代人に直接つながる新人ホモ・サピエンスは、アフリカが起源であるという説は、現在広く受け入れられていますが、1980年代までは実はそうではありませんでした。当時は、100万年以上前にアフリカを旅立った原人が、世界各地で独自の進化をを進め、それぞれの地域の新人になっていったとする「多地域進化説」が主流派でした。
しかし、1987年、ミトコンドリアDNAに着目した研究から、新人はすべて10〜20万年前にアフリカで誕生し、6〜7万年ほど前にアフリカを出て世界各地に拡がっていったとする「アフリカ単一起源説」が発表されます。この説に従えば、20万年前にはすでに出現していたネアンデルタール人や北京原人などは、絶滅したことになります。その後、「多地域進化説」vs「アフリカ単一起源説」は大論争に発展することになるのですが、やがてY染色体や他の遺伝子分析、また、人骨の形態学的な研究等からも「アフリカ単一起源説」を支持する結果が得られ、今では大多数の人類学者が「アフリカ単一起源説」を支持しています。
ちなみに、ネアンデルタール人は絶滅したと説明しましたが、実は現在の私たちのDNAの中には、ネアンデルタール人の核内のDNAが含まれています。これは、アフリカを出たホモ・サピエンスがヨーロッパやアジアなどに拡がっていく前に、一時中東地域にとどまることがあり、その時に当時中東にいたネアンデルタール人との間で交雑があったためではないか、と言われています。
新人とネアンデルタール人の交雑
朝日新聞 GLOBE
我々の中にはネアンデルタール人がいる
Science. 2010 May 7;328(5979):710-22
A draft sequence of the Neandertal genome.
アフリカを出発
では、いよいよ、新人がアフリカを出発して、日本までの長い旅の話をしたいと思います。まず、アフリカを出発したルートですが、DNA分析による人類拡散の研究からは、以下の2つのルートが考えられています。
北アフリカ経由ルート
一つ目のルートは、北アフリカから出ていくルートで、
紅海の北端 → シナイ半島 → 中東アジア
という経路です。
この経路途中のイスラエルの遺跡から、新人の人骨が出土しています。しかし年代は10万年ほど前で、DNA分析から得られた、人類がアフリカを旅立った時期(6〜7万年ほど前)とは、ずれています。また、DNA分析の結果からは、アフリカを旅立った新人のルーツは東アフリカにあるとされているのですが、北アフリカにたどり着くには、まず広大なサハラ砂漠を越えなければなりません。
エチオピア経由ルート
もう一つのルートは、エチオピアから出ていくルートで、
エチオピア → アラビア半島 → 南アジア
という経路で、最近のDNA分析からの研究は、こちらのルートを想定したものが多いそうです。このルートからアフリカを出た新人は、南アジアの海岸沿いに進んでいき、4万年以上前にはオーストラリア大陸に到着していたとされています。
なお、このルートでは紅海を横断する必要がありますが、当時は氷河期だったため、紅海の幅が狭くなっていて、海を渡るのは今よりは簡単だったといわれています。
アフリカ出発のルート
アジアへのルート
アフリカを出た人類が東アジアまで到達するルートは、インドを経由する南回りのルートと、中央アジアを経由する北回りのルート、2つが考えられています。
南回り(インド経由)ルート
南回り(インド経由)ルートでは、アフガニスタンやパキスタンでのデータが全くないのですが、インドのデータは比較的多く蓄積されています。
外見的には、東アジア人よりもヨーロッパ人に近いインド人ですが、ミトコンドリアDNAは、インド人の60%がアジア特有のハプログループMの系統に属します。その次に多いグループは、ヨーロッパ系のUの系統で、人口の15%程度を占めます。
ただし、インドのハプログループM系統は、東アジアのハプログループM系統とは異なっていて、また、U系統は、インドより東には存在しません。大雑把にミトコンドリアDNA分布の境界を見れば、ユーラシア大陸の西から、ヨーロッパ・ヨーロッパグループ、インドグループ、東アジアグループといった感じになります。ハプログループMに関しては、エチオピア経由でアフリカを旅立った新人の集団が、インドにとどまる集団とさらに東に進む集団とに分かれたのち、それぞれ別々に拡散していったと推測されています。
北回り(中央アジア経由)ルート
中央アジアは、かつてはシルクロードを介して、人の往来が活発であった一方、様々な民族による国家の興亡が繰り返されていた地域でもあります。そのような歴史的背景から、この地域のDNA構成は、相当複雑であろうと想像されるのですが、実は、この地域を対象とした詳細なDNA研究はこれまで行われていないそうです。
かろうじて1990年代に行われた旧ソ連(カザフスタン、キルギスタン)での研究および中国の西域少数民族を対象とした研究からは、この地域の人たちのハプログループは、ヨーロッパや東アジア人のものと同じで、この地域特有の古い分岐年代を持つハプログループは、見つかっていません。このことから、現在これらの地域に住んでいる人たちは、旧石器時代などの古い時代ではなく、比較的新しい時代にヨーロッパや東アジアから流入してきた集団の末裔ではないかと考えられます。
東、東南アジアのハプログループ分布
日本人に関わりの深いミトコンドリアDNAハプログループにしぼって、アフリカから東、東南アジアまでの移動ルート及び現在の東、東南アジアでの分布を記したのが、以下の図です。では、東、東南アジアでのハプログループについて、南から順にみていきましょう。
まず、オセアニア地方についてですが、オーストラリア先住民やパプアニューギニア人の中には、直接アフリカに結び付く分岐の深いミトコンドリアDNAのハプログループ、PとQを持つ人たちがいます。彼らは、東南アジアから、当時、氷河期の海面低下によって拡がっていたスンダランドと呼ばれる陸地を経由して、現在のオーストラリアとパプアニューギニアを含むサフールランドにやってきたと考えられています。
スンダランドとサフールランド
by Maximilian Dorrbecker(Wikipediaより)
一方、大陸側では、南側に、ハプログループM系統のM7、M9、Eグループと、ハプログループN系統のN9、R9、B、Fが存在し、北側では、ハプログループM系統のD、G、M8a、C、Zグループと、ハプログループN系統のA、N9、Yグループが存在します。
ハプログループM系統のグループは、インドから進出してきた人たちと考えられ、N系統のR9、B、Fも元のRの拡散の中心がインドにあるため、同じく南アジアを経て東アジアにやってきたと思われます。残りのA、N9、Yについては、Rを経由せず、Nから直接分岐していることから、R系統とは別の、おそらく、北回りルートで東アジアにやってきた人たちではないかという説があります。
日本人のハプログループ
いよいよ、日本人のミトコンドリアDNAについてです。実はミトコンドリアDNAのハプログループが最も研究されているのは、日本人のDNAで、各ハプログループの割合は、以下の表のとおりです。あなたのミトコンドリアDNAもこの内のどれかにあたりますが、これから代表的なグループのルーツを見ていきましょう。
日本人の持つ各ハプログループの割合
(「日本人になった祖先たち」(篠田謙一 NHKブックス 2007年)より)
ハプログループD
ハプログループDは、日本人の中で最も多い集団で、4割弱を占めます。Dのサブグループには、アメリカ先住民が持つD1、東アジアに分布するD4、D5、D6があります。またハプログループDは、東アジア全体でも最大のグループで、とくに中国東北地方、朝鮮半島では、日本同様、人口の3割から4割を占めます。
ハプログループDの誕生は、3万5000年以上前だと計算されていて、南回りで東アジアにやってきた集団の中から中国大陸中部で誕生したと推定されています。
ハプログループB
日本人で2番目に多いハプログループがBで、最も多いサブグループがB4です。このミトコンドリアDNAは、他のグループのように特定のDNA配列が変化しているのではなく、特定部位のDNA配列が9つ欠損しているのが特徴です(通常ミトコンドリアDNAは、16,568塩基対に対して、ハプログループBは、16,559塩基対)。
ハプログループBは、約4万年前に中国南部で誕生したと推定され、中国南部から東南アジアにかけて、人口に占める割合が多いグループです。また、東アジア以外にも南米の山岳地域や南太平洋にも多く見られます。南米の山岳地域のハプログループBは、1万5000年以上前に、大陸の沿岸地帯を伝って新大陸に渡ったグループ、南太平洋のハプログループBは、約6000年ほど前に東南アジアから海洋進出していったグループだと考えらえています。
ハプログループM7
ハプログループM7は、氷河期に黄海から東シナ海にかけて存在していた陸地、スンダランドで4万年以上前に誕生したと推測されています。a、b、cの3つのサブグループがあり、M7aは日本に、M7bは大陸沿岸から中国南部の地域にかけて、M7cはフィリピンやインドネシアに多く存在します。一方、中央アジアや北東アジアにはM7の集団はほとんど存在しません。
また、日本のM7aは、沖縄が最も頻度が高く、北に行くほど頻度が低くなります。このことから、日本へは南から入ってきたグループではないかと推測されます。
ハプログループA
ハプログループAは、主に中央アジアから北アジアに分布していますが、アジア地域では少数派です。一方、北東シベリアや北アメリカの先住民では人口の過半数以上を占めます。誕生は約3万年前、場所はバイカル湖周辺だったのではないかと推測されています。また、このグループは、旧石器時代のシベリアで、マンモスハンターと呼ばれる優秀な狩猟民の多数を占めていたのではないかとも言われています。
ハプログループG
ハプログループには、G1からG4までのサブグループが存在しますが、その分布は北方に限られていて、アジアの南方では見られません。誕生は約3万年前、最終氷期の最寒期あたりで、場所はシベリア高原と推定されています。
ハプログループF
ハプログループFは、日本ではそれほど多いグループではありませんが、東南アジアでは最大のグループです。4万年以上前に東南アジアで誕生したと推定されています。誕生した地域、時期は、ハプログループBと似ていますが、こちらのグループはBのように、環太平洋に展開はしていません。また、北方へも進出しなかったようです。
ハプログループN9
ハプログループN9には、N9a、N9b、Yの3つのサブグループがあります。N9aは中国南部や台湾の先住民に多い一方、N9bは、日本以外ではほとんど見られません。このN9bは国内でも北に行くほど人口に占める割合が増えるので、北から日本に入ってきたグループではないかと推測されます。
また、Yは、北東シベリア沿海州の先住民に多く見られ、そのほかの地域にはほとんど拡散していませんが、北海道のアイヌ民族には、多く見られるグループです。なぜ、アイヌ民族にハプログループYのミトコンドリアDNAが含まれているのかというと、5世紀末から10世紀までの間、北海道オホーツク沿岸に「オホーツク文化」というものが栄えていて、そのルーツがシベリアのアムール川流域の漁撈民だったためだと考えられています。
ハプログループM8a
ハプログループM8aは、中国各地の漢民族の集団の中に一定の割合で存在するグループです。中国北部で誕生したグループだと考えられていて、新石器時代以降、黄河流域から南に向かって移動した集団の中の一部だったのではないかと言われています。
ハプログループC
ハプログループCは、日本では数が少ないですが、中央アジアからアメリカ大陸にまで広がっています。誕生は約3万年前の中央アジア草原地帯と考えられていますが、ここから中央アジアに大きく広がっていったのは、「元」などの遊牧民国家の勢力拡大の影響だと推測されます。
ハプログループZ
ハプログループZの分布は少し変わっています。これまでに見つかった場所は、フィンランド先住民や他のヨーロッパ地域、ロシアの極北地域、カムチャッカ周辺の先住民、朝鮮半島や日本と、ヨーロッパから極東アジアにまでまたがる分布となっています。このグループの起源は、東アジアまたは中央アジアと考えられていて、そこから北極海に面した地域の先住民を介して、ヨーロッパまで伝わったのではないかと推測されます。
ハプログループM10
ハプログループM10は、アジア全体でも少数派ですが、最も多い国がチベットで、人口の約8%を占めています。中国の北部で誕生したと考えられていて、日本以外にも朝鮮半島や中央アジアにも数は少ないながらも存在しています。
ハプログループHV
ハプログループHVは、これまで見てきたアジア起源のものではなく、ヨーロッパ系統のグループです。ミトコンドリアDNAは母親からしか遺伝しませんので、近代以降に日本に入ってきたハプログループだと考えられます。現在の日本の人口に占める割合は、ごくわずかですが、国際化社会の中で、今後こういったアジア起源以外のハプログループが国内でも増えてくる可能性は高いと思われます。
6〜7万年ほど前に人類がアフリカを旅立ち、世界各地に拡がっていったミトコンドリアのハプログループ。長い年月をかけた人類の拡散とともに、地域ごとに特徴的な分布をしめすようになっていきましたが、世界各地への行き来が簡単になった現在、最後に紹介したHVグループのようなケースが増えてくると予想されます。東京などの国際都市には、世界中のミトコンドリアハプログループが集合するような時代になるかもしれません。
祖先を扱った検査キットの紹介
ミトコンドリアDNAのハプログループを使って、祖先のルーツを調べてくれる遺伝子検査キットは各社から販売されています。ここでその一部を紹介します。
これ以外の検査キットは以下の「検査キット一覧をみる」からも調べることが出来ます。
検査キット一覧をみる
DeNAライフサイエンス - MYCODE(マイコード)- ディスカバリー
その他の病気 アルコール代謝 薄毛・AGA 肌質 その他の体質 祖先
祖先解析と基本的な体質傾向の調査を行うパッケージ。日本人が属する主な10のハプログループの中から、どのグループに当てはまるかを調査。
GeneLife(ジーンライフ)- Genesis(ジェネシス)
がん 生活習慣病 その他の病気 アルコール代謝 ダイエット・肥満 薄毛・AGA 肌質 その他の体質 学習能力 運動能力 性格・その他能力 祖先
祖先解析も含めたジーンライフのトータルパッケージ。検査項目数は世界最多の360項目、1,000以上の遺伝子を検査。
がん 生活習慣病 その他の病気 アルコール代謝 ダイエット・肥満 薄毛・AGA 肌質 その他の体質 学習能力 運動能力 性格・その他能力 祖先
検査項目は祖先解析を含め、約290と多く、体質、疾患、能力まで、広範囲を網羅。一度検査を受ければ、マイページで追加された検査結果も確認可能。
遺伝子、遺伝子検査についてもっと知りたい方へ
このページを作成するにあたり、参考にしている書籍等を紹介します。
- 学んでみると遺伝学はおもしろい(針原伸二(著) ベレ出版:2014年3月)
- 遺伝とゲノムどこまでわかるのか(ニュートン別冊 ニュートンプレス:2013年7月)
- 日本人になった祖先たち(篠田謙一(著) NHKブックス:2007年2月)
その他の遺伝子、遺伝子検査に関する参考資料はこちら。
参考資料一覧
- 遺伝子検査とは?-種類や費用など- 公開日:2016年10月25日
- アイスランドとデコード社の遺伝子研究事情 公開日:2016年02月05日
- 遺伝カウンセリング-遺伝子検査で不安になったら?- 公開日:2015年10月23日
- 日本で行われる出征前診断の種類とメリット 公開日:2016年02月02日
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